2016年1月27日水曜日

人道支援活動の人材育成

カンボジアの活動センター、DACC(現地NGO・Hope of Cambodia、シェムリアップ支部)では、通年さまざまな活動が行われています。当団体も、主にミャンマーから拠点を訪れ、短期~長期に滞在研修を行う人達の支援を行うほか、通年の拠点運営、地元住民を対象とした人道支援や奉仕活動の事業を応援してきました。

他の事業活動が短期訪問型であるため、事業期間や場所、対象となる人数や事業費などは、毎回訪問ごとに報告をまとめられますので、ご報告やご紹介もしやすいのですが、DACCの事業はそういう意味では通年、地道に生活を通じた活動が多いため、なかなかご紹介もできていません。

日々の様子は、DACCに常駐して活動をしているグローバルハートスペース(GHS)の活動レポートブログに掲載されています。駐在スタッフの日誌的な記録ではありますが、日々の様子がよく分かります。ご関心のある方はご覧ください。



DACCでは、事業も他団体と共同実施や間接的な協力で行ったり、いわば短期間にイベント的に行われる事業と異なり、事業成果もすぐに見てとれる内容でもないため、ある程度期間が経過してからのご報告となってしまいます。

DACC事業の一番の成果は、長期に日本人と東南アジア人が共同生活をしたり、或いは日本人同士が現地の生活を体感することによって、現地を知り本当に必要な活動を認識することができることでしょう。互いの信頼関係を深め、同じ志と共通認識をもって各地で活動できる仲間が日本やアジアにできていくことの成果は計り知れません。

平成26年7月~今期に入ってからこの半期の間、DACCで実施した事業の中で、CEALOグローバル・ハーモニー・ジャパンが実施、或いはサポートした主な事業をご紹介します。

鉈の使い方も難しい~
8月には、GHS主催の毎年恒例の奉仕体験リトリートが実施され、当団体創設者のガユーナセアロが講師として招かれ、4日間の合宿による研修が行われました。当団体がミャンマーで推進している農業産業プロジェクトの一環として取り組んでいるココナツプロジェクトの担当でもある、ウィンさんが参加者の皆さんにココナツオイルが作られる工程を体験して頂き、村の人達が手作りしている状況を紹介し、事業の説明を行いました。

村でココナツ事業に取り組む村の人達
参加者の若い男性陣がよってたかって作業しても、一つのココナツを割るだけでも最初は30分以上もかかってしまう状況で、みんな汗だくでした。日本では、なんでも商品になったものしか手にすることができず、そのプロセスにどれだけの労働力があるかは感じる事ができません。日本の人たちと、有り難さを感じるだけではなく、世界の経済格差や公平な取引について語り合うよい機会となります。


また、8月の終わりには、ミャンマーの村から3名がDACCを訪れ、反対に私達が日本の皆さんと行っている事業の様子を体験してもらったり、日本人と共同生活をする中で私達の生活習慣を体験してもらったりしました。
電気がなく、材料もそろいにくいミャンマーの農村部で実施可能かどうか、色んな手作り品の実験や研究もDACCで行う大事な事業の一つです。それらも体験してもらうことで、相互理解が深まります。
CEALOグローバル・ハーモニー・ジャパンでは、研修に訪れるミャンマー人の渡航や滞在費をサポートし、技術や生活に関わる指導、必要に応じた日本語指導を行っています。

村では、若い人達の育成を望み、研修実施や体験学習の希望がありますが、常に村の代表から申し出があり本人の希望あって少しずつ受け入れを行います。9月からは、この村から17歳の少年が手をあげ、DACCで頑張っています。

愛称はタッパー(本名の音から)、有司(本名の意味から)と呼ばれ、頑張っています。周りが大人ばかりだったり、同じレベルで勉強する相手がいないので、少々日本語の学習はのんびり気味ですが、現在もDACCで頑張っています。


11月からは、日本を訪れ、国内の事業活動に参加したり、拠点で実施している事業活動を手伝ったり、日本語学習を含めて約2か月間滞在しました。

時期を同じくして、スリランカから現地協力NGOの学生ボランティアとしても活躍中で、DACCにも3カ月研修滞在の経験があるサジーニさんも日本を訪れることになり、一緒に福山のハートスペースで日本人と共に体験学習を行っていました。
日本語のレベルは、サジーニは独学で日本語を学んで2年、母国スリランカでは学校にも通っており、日本語能力試験にもチャレンジ中とあって、タッパー君は全く追いつきませんが、周りが日本人だけだった環境よりもよい刺激になっていたようです。

今では、独学で日本語能力試験1級も合格し、事業担当を担い、カンボジア、ミャンマー、日本でも活躍中のウィンさんも、振り返れば17歳のころから頑張ってきての今があります。こうした若者の芽はいつどこでどんな風に咲いてくるのかは分かりませんが、次の世代に学習の機会を提供し、知恵を伝え継承していくことを引き続き行っていきたいと思います。