800人近くいる学生のうち、試験中のため約250名のみに渡すことができた3月訪問。今回全て渡したいと考えていましたが、試験が終わり自宅に戻れる子たちは遠くの村にほとんど帰ってしまっているか、高学年の子ども達は試験が続いており不在でした。

2月、支援活動の際に参加した、ヤンゴンで日本語学習を行っている学生達も手伝いに来てくれました。仲間のティンティン先生の教え子達です。
僧侶の話では、民主化が進んで以降、子ども達の生活は全く変わってしまった、教育システムが変わり、寺子屋も正式に学校登録をし、子ども達が学校にてんでバラバラに通うことなく施設内で出来るようになったものの、そのカリキュラムに沿って勉強が必要、勉強に向かない子も、卒業しても良い仕事に就けない事がほとんどなのに、帰る家のない250人の孤児たち以外は、貧しい村の親たちも勉強させたがっている、と。
変わりゆく流れの中、必要なことは何なのか…。常に考えさせられます。彼らの強くたくましく、朗らかに生きる素晴らしさを保ちつつ、発展と自立を叶えるには何ができるか、何が必要なのか…。


驚いたことに、ヤンゴンの学生は、田舎の田んぼやお米を見たことがない様子で、本当に時代の流れを感じさせられます。

雨期が来る前に、今できることとして、ミャンマーの活動拠点に使わせて頂いているお寺の建物が老朽化により屋根に小動物が入り込んできてしまうため、現地のボランティアメンバーと共に屋根の修復を行いました。高い屋根の上、炎天下の中、はだしで登って作業を進めるミャンマー人は、やっぱりすごいですね…。電気もLEDランプに変え、ものすごく明るくなり、作業もしやすくなりました。

同時進行で、M村というところで支援事業のために手に入れていた土地に、低所得者層を対象としたアパートを建設しようという計画を進めるため、外壁工事の準備をしました。この計画については、後日このブログ内でご紹介します。

とにかく日本に行きたい、お金を稼いで親孝行したい、というなら、ミャンマーで働いて観光で日本に行けばいい、恥ずかしいミャンマー人になったらだめ、と、例によって厳しいウィン先輩でした。