2014年10月5日日曜日

第12期 9~10月スリランカ人道支援事業

事業種: 人道支援事業
事業名: 2014年9-10月 スリランカ人道支援 
開催日: 2014年9月27日~2014年10月4日
従業者: 12名
受益者: (訪問先参照)


 事業内容:
支援・訪問先:
  1. スリランカ・KGH活動センター(ベルワラ村)
  2. 国立コロンボ総合病院(Hospital Service Council )
  3. Kahawa、Matara幼稚園
  4. 北部トリンコマレー・Veherathanna村
主な事業内容:
  • 前年に引き続き、スリランカの現地NGO(Shihasara Foundation)と協働し、活動センター(KGH)を地元の学生ボランティアや日本人ボランティアとの交流協働体験の拠点として活用でき、貧困層への人道支援活動や地域奉仕、農業実習や研修などの事業が運営できるよう援助を行った。今回は、現地学生ボランティアと日本人が共に地元住民に協力参加を呼びかけバザーを開催したり、村への支援物資の準備作業を合宿して行ったり、事業運営資金の寄付を行うなど、センターを中心とした事業への協力を行った。
  • 1年前に、地元の協力団体(Hospital Service Council)からの要請により、日本国内に協力を呼びかけ、中古車いすを集め、修繕や整備を行い、日本から持参する協力を得ることができた。集まった14台の車いすを病院を訪れ直接寄付し、国から無償で医療を受けることができても、薬や治療代、退院後も継続した治療や障害が残った場合は自費負担であるため、保障を受けることができない貧困層に対し、車いすの提供を行った。長期入院中の子ども達を見舞い、おもちゃや衛生用品を配布した。
  • スマトラ沖大地震の津波被災地で、当団体の支援から開始された幼稚園2か所を訪問。前年に寄贈した庭の遊具の状況を確認し、遊戯に必要なCDプレーヤーや子ども達への玩具やおやつ、職員への食料品等を手渡した。引き続き現地NGOと協力し、継続した教育支援を行っていきたい。
  • 2009年内戦の終息から復興を進めている北部の村を訪れ、現地の人々と共に復興活動行っている軍と協力し、農機具や生活物資を100世帯に手渡し配布した。以前よりは、国からの住宅・農地の提供や井戸、トイレ建設も進み、手作りの家と自給自足により最低限の生活は取り戻しつつあるが、乾燥地帯のこの地域で農業が営め、ブロック製の家屋が持てるよう復興支援を行う軍とそれを支える現地NGOと引き続き協力し、可能な支援を行っていきたい。
 
 

 収支報告:

事業予算 <レート \1=Rs1.1509>

スリランカ人道支援
Kahawa、Matara幼稚園
北部内戦後の村支援
Shihasara F. 医療支援事業
学生奉仕プログラム応援
\491,936 
\363,678 
\237,969 
    \6,417 
合計\1,100,000 

2014年10月1日水曜日

<後半>スリランカDA

【9月30日~幼稚園訪問】

現地協力NGO(シハサラ・ファンデーション)と当団体が協力し、津波被災後に子ども達の為に設立した幼稚園を訪問。子ども達の元気な様子を見せてもらいました。前回訪問時に依頼のあった庭の遊具もできており、発表会用のステージも建設中。雨季の雨で水浸しになってしまう庭にもう少し土を入れてもらうことにしました。
幼稚園に通うのは2年ですが、毎年年末の発表会では、保護者や村の人たちに歌や踊りを披露していています。その練習、ということで私たちにも歌と踊りを見せてくれました。子ども達の笑顔は万国共通。お菓子とおもちゃを受け取る子ども達の嬉しそうな姿はどこヘ行っても同じですね。



訪問を終えてセンターに戻ると、さあ次の準備です。明日はセンターの前で、地元の学生ボランティアと共にチャリティーバザーマーケットを開催します。パッケージはもちろん、看板やテントの準備、値段つけも必要です。
これまでも、事業活動資金の調達のために、野菜を育てて販売していた地元の学生達。活動資金は生活が苦しい村の子ども達に学用品やお米を買って直接支援にしてきました。

今回はそんな彼らに、日本からの支援物資をバザーにして活動資金に役立ててもらおうという企画です。ぜひ自分達でもできる事業活動にしてもらいたいです。


【10月1日~マーケット!】


2007年に日本で行われた国際ハートエキスポの時に作ったWelcomeの旗を掲げて、マーケットをオープン!
センターの向かいにあるお店の方が応援してくれ、店の軒先を空け、机やかごも貸してくれて手伝ってくれました。
準備をしていると、テントも組み立て終えないうちにお客さんが次々と…!!11時半の予定を2時間以上も早めてオープン。

学生たちも張り切って呼び込みを続けます。
「ハンネ~(いらっしゃい)、ラーバイ(安いよ~)」と、ここは日本のバーゲン風に大きな声と笑顔で。

マーケットは炎天下、3時近くまで盛況が続き、売り切れも間近になったところで閉店。
なんと、4万ルピー近くの売り上げがありました!(約4万円)
マーケットの売り上げは、全額、センターを管理運営し、こうした学生達の活動を支えながら、スリランカ全国各地で人道支援活動を行っている僧侶、スブーティさんにお渡しし、学生達の活動に役立てて頂くことにしました。

マーケットを開催しながらも、詰まったトイレを直したり、棚を作ったりと、1日活発に動き続けた日本人の皆さん…。喜びを味わいほっとする間もなく、(ほっとしていた人は叱られながら…笑)明日の準備です。

ここで2名の方が帰国のためセンターを出発しましたが、最後の最後まで汗をかいて明日の準備もしっかり参加してやっていました。また、その陰で朝~昼~夜と全員の食事をずっと作り続けているメンバー(日本からの参加者&スリランカの現地ボランティア)の姿があります。みなさん、かっこいいですねーー!!!

【10月2日~3日 北部の村支援】

スリランカは、26年もの内戦が2009年まで続き、経済的にも厳しい状況が続いていましたが、内戦終結後は政情の安定とともに外資が押し寄せ、都市部はめまぐるしく経済発展を進めています。東南アジアの国は事情は異なれど、少なくとも私たちが支援訪問している国は、どこも同じように都市部はどんどん発展しています。そして同じように農村部を訪れると相変わらず生活が苦しい様子は変わらないように思います。

都市部で起きていることは自分達には関係はない、と思える方がむしろ幸せで、情報によって比較しやすい環境になってしまうせいか、「なぜ」という疑問や、「自分たちだって」という欲や不満が以前より多くなっている、ということはないでしょうか。

そんな思いを抱きながら、3年ぶりに訪れた北部の内戦跡地。相変わらずのでこぼこ道が続き、雨が2年間もまともに降っていないという過酷な状況という話を聞きながら村に到着。そこでは、軍の皆さんが村人と共に生活し、村の復興を共に行っており、また、私たちの訪問を笑顔で迎えてくれた村の人々の様子を伺い、嬉しく思いました。

この数年は農業を始めようにも井戸の水も枯渇してしまうほどの天候だったそうです。ほそぼそと自給自足が何とかできる範囲で、生活をささえる田畑を耕せと言っても無理な話だったそうです。今年は雨が降り始め、期待が持てるようになったため、農機具を100世帯の皆さんに使って頂こうと寄付をさせて頂きました。まだ家屋は手作りのものですが、軍の皆さんがトイレを数百か所既に作られており、国の補助も受けてブロック作りの家も少しずつ建ち始めているそうです。材料だけ購入し、あとは村民と兵隊さんで作る家。




戦争は大変なことではありますが、戦後、人々の生活が少しずつ良くなり平和な心持でいるということを村の人に伺ってほっとしました。

センターから村までは、実に車で7時間を要します。近くの町で1泊はしましたが、町での物資調達や運搬、セットのお手伝いをして下さった皆さん、ありがとうございました。

村を訪問しお昼を兵隊さんの居住区で頂き、早めに出発したつもりが、センターに到着したのは夜10時近くになっていました。

フラフラになって戻っても、調子の悪いトイレを直す人あり、掃除や片づけする人あり、と、みなさん根性が違います!!


【10月4日 出発前】

センターを出発するまでの1日は、次の誰かのために、センターをきれいに掃除、片づけです。寝具、道具、持ち込んだ色んな消耗品類も、あますことなく片づけ。保管しておくものは、湿気によるカビ対策も考えながら、洗えるものは全て洗濯。雨季の晴れ間をみつけては、外に干して、雲行きをみては、中にしまって…。ベットのマットや蚊帳も全てです。場所がどこであれ、拠点は日本と同じようにできる限りの衛生管理を行うようにして出発です。

今回ご参加の皆様、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

※今回ご参加の皆様からは、共に活動をした地元NGOと車いすを寄付した医療関係のNGOにそれぞれ10万円ずつの寄付をしてくださいました。

2014年9月30日火曜日

<前半>スリランカDAスタート ♪ 車いすが届きました!

中古車いすをスリランカに送るプロジェクト」を立案し呼びかけを始めたのは、ちょうど1年前の9月。1年かけて、東京と札幌で中古車いすが集められ、プロジェクト協力・参加者も少しずつ集まって、NPO法人グローバルハートスペースにより、「車いすをスリランカに持参しよう!」という企画が立ち上げられました。掃除やメンテナンス、保管や運搬に、いろいろな方がご協力下さって、持参ツアーにも9名の方が参加。やっと車いすをスリランカに届けることができました。

中心になって協力して下さった皆さんのブログも是非ご覧ください。

集まった車いすは14台、300kgを超える重さです。現地と国内と両方で航空会社に協力の事前交渉を繰り返し、渡航者10名の手荷物として現地まで運ぶことができました。コロンボの空港でも、現地協力者のサポートを受けて入国も無事にすませることができました。

<ご協力:健育会竹川病院様、スリランカ航空様>

今回のスケジュール *****

9月27日 到着~センター
9月28日 物資整理、買い物、物資準備
9月29日 コロンボ国立病院訪問・車いす寄付
9月30日 地元の幼稚園2か所訪問・支援物資配布
10月1日 センター前でマーケット開催、夜短期滞在者帰国
10月2日 北部トリンコマレ地区訪問、貧困層支援事業の応援(物資配布)1泊
10月3日 センターに戻る
10月4日 センター片づけ最終、夜帰国

***************

【9月27日~到着】

コロンボの空港から約2時間の移動で、スリランカの活動センター(KGH:カルナグローバルハーモニーセンター)に到着。荷物を運び終えたのも夜10時を回っていましたが、みなさん元気に到着です。早速、寝具の用意やセンターの使い方を説明して、いよいよダイレクトアクションのスタート♪

今回の参加者は、海外ダイレクトアクション経験者がほとんどですが、スリランカは初めて、という方が多いグループです。他の国では、移動が多く宿泊はホテルだったり、もしくは、管理する駐在人がいるセンターだったりしますが、スリランカでは普段は無人のセンターを中心に活動し滞在もする拠点として活用しています。

このセンターは、2009年~2011年に、ミャンマー人と日本人で3か月合宿研修を行った場所です。管理運営は地元NGO・シハサラファンデーションが行っていますが、センターに常駐しているスタッフは現在おらず、私たちが利用させて頂く際は、現地のボランティアの皆さんが掃除やメンテナンスに来られ、滞在中は数名のボランティアの皆さんが宿泊してサポートしてくれています。

私たちはお客さんではないし、現地の皆さんと同じ奉仕者として協働し、日本人が来るたびに良くなるセンターになるよう協力をして頂くことを参加者にお願いをしました。

団体行動や特に合宿では、ルールを決める、担当や当番を決めてやる、といった話が出てきがちですが、「DA(ダイレクトアクション)や奉仕を真に体験する」ということが目的ならばどうでしょう。「どうしたら相手や周りの人が心地よくなるか、次の人に役立つか」と、心で感じ、工夫や改善をしながら自主的に動くことが奉仕には大事だと思います。決まりや役割分担がその妨げになったり、かえって中途半端になったり、規則や指示がなければできないない、ということにもつながり、そもそもの目的から遠ざかることになりかねません。

せっかくの体験の機会。日頃から日本でも奉仕ができる機会とあらば足を運んで汗を流しているメンバーだからこそ、今回は更なるレベルアップを目指していただき、支援活動以外でも、センターや仲間に対する奉仕をしっかり行い、更に経験を積んで頂きたいと思います。

このセンターでは、水道、電気、ゴミ、調理、食事、トイレ、寝具、洗濯…生活のすべてに関わることは、自分の事は自分で最期までやり届ける、ということが求められます。例えば、ゴミひとつとってみても、ゴミの収集など来ません。そこでどうするか、です。また、停電も頻繁に起きていますが、卓上の電気湯沸かしポットを使っていると、お湯を台所でわかして来よう、という事さえもさっと浮かんできません。台所?そこですよ、皆さんのセンターだから自由に使ってください、と言われても、遠慮があったり、または、誰かがやるだろうと無意識に人を頼りにしようとしたり…、色んなものが出てきます。

こうした生活に関わることはもちろん、支援活動の物資に関わる準備や段取りも、自分で考えて自分から行動すること、それをどう団体行動にするかを自分達で考えて行動することを今回のグループ課題にさせて頂きました。






9/28 車いすを整備/改造
【9月28日~準備】

荷解きをし、車いすの組み立てを行い、物資の仕分けや準備、現地での追加物資調達も、スリランカの学生メンバーと一緒に皆さん中心に行って頂きました。

早速、センターに滞在中の脳腫瘍で体が不自由になってしまった女の子のために、持参した車いすの中から適切なものを選んで調整。不自由になった首をお母さんがずっと手で支えている状況を少しでも助けられたら…。センターにある材料や道具を使い、背もたれを伸ばしてクッションをつけ、ヘッドレストを作って改造しました。

同時に、持参した沢山の物資を分類し、数を数えて支援先ごとに手渡し用の袋詰めを行います。タオルや石けん、歯ブラシ、文具など、種類も色々です。不足品は現地で買い足して、今回訪問予定の病院用、幼稚園用、村用のセットが次々に作られていきました。

現在、スリランカでは若者ボランティアチームが頑張りを見せていることから、マーケットプロジェクトを提案し、たくさんの持参物資の中から、バザー用の物品を選んでパッケージをしてもらいました。10月1日にセンターがある村でバザー開催を決定。野菜を作って売りながら活動資金を作っていた学生達に体験してもらい、バザー収入を役立てるよう、ぜひともプロジェクトを継続実施してもらいたいと思います。


【9月29日~病院訪問】


車いすと、入院中の子ども達に手渡す物資を持ってコロンボの国立病院を訪問。この病院では、治療は無料で受けられるものの、薬や退院後に必要なケアについては自費負担です。今回の私たちの協力は、医療費負担が困難な貧困層の方々のサポートを30年来行っているHospital Service Councilを通じ、入院中は病院の車いすを利用できても、退院後も障害が残ってしまったという方々に差し上げられる車いすとして役立てて頂きます。

集まった病院関係者の皆さんに、日本からの車いすを手渡し、長期入院中の子ども達におもちゃやタオルなどの生活用品をプレゼントさせて頂きました。廃棄処分になる車いすが1年かけ、たくさんの人の手で命を吹き返して再びここスリランカで役立ってくれます。




<今日の感想…>
スリランカにもたくさん車いすは安くあるのに…。それでも「日本製がいいんだ」と言ってくださるスリランカの皆さんの言葉が心に刺さります。以前はただ嬉しく誇りに感じたこともありましたが、今は「本当に日本製はいいだろうか」、我々の前の時代の日本人が気づきあげてきた技術を継承しているだろうか、と疑問に思うことが多くなってきたからです。

技術者のせいではありません。日本に生まれ育った私たちが、何を選択してきたか、何を大事にしてきたかだと思います。日本の技術力を大きく支えてきたのは、勤労精神、奉仕の心だと思います。誰かの、何かの役に立ちたい、使う人に長く役立ててもらえるものを…、そうした気持ちなくして素晴らしい技術などできないと思うのです。

南・東南アジアのどこのどんな田舎に来ても、技術は日本の代名詞のように耳にします。欧米なら「フジヤマ、ゲイシャ(古いですか…?!)」良くいって「ホスピタビリティ」かもしれませんが、アジアでは必ず「ジャパン・テクノロジー」なのです。戦前戦後の機械だってまだ動いている。壊れにくい、部品を買えればずっと使える。まさに、使う人を想う奉仕の心が物を通じて生きているからだと思います。

ジャパン・テクノロジーと聞くたびに、前世代の方々への尊敬の念と、何とか継承していかなければという責任感は強くなるばかりです。これまで培われてきた日本の宝を無くしてはいけない。自分に車や機械は作れませんが、奉仕の心や勤労精神は自分で啓発し行動することはできます。いろんな情報に振り回されず、自分が大事にしたいことをしっかり中心において生きたい、と、アジアに来させて頂くたびに思うところです。


2014年9月20日土曜日

第12期 7~9月カンボジア・ミャンマー人道支援事業

事業種: 人道支援事業
事業名: 2014年7-9月 カンボジア・ミャンマー人道支援 
開催日: 2014年7月1日~2014年9月14日
従業者: 10名
受益者: (訪問先参照)


 事業内容:

支援・訪問先:
  1. カンボジア・Hope of Cambodia ダイレクトアクションセンター(DACC)
  2. モン州Z村支援(貧困層・農業支援)
  3. KT周辺村、小学校、寺子屋等数か所
  4. 日本語研修プログラム(ミャンマー)
  5. K村縫製プロジェクト事業
主な事業内容:
  • 東南アジアと日本の活動拠点、DACCの事業運営を継続して援助し、地元住民の生活向上と、東南アジアと日本の架け橋となる現地事業活動へのサポート及びミャンマー縫製プロジェクトの職業訓練事業や東南アジア人材育成研修事業の継続実施に努めた。今年5月の縫製技術研修に参加した学生リーダーの女子(24歳)がカンボジアDACCでの長期日本語学習と縫製実習を希望し9月に渡航。現地NGO、HOC及び拠点運営を行うGHSと共同で育成に努め、自立に向けた指導や活動資金協力を継続して行っていきたい。
  • モン州のZ村やSPT寺子屋・青少年育成施設を訪れ、米や文具、日用雑貨の寄付や医療支援、教育支援を行った。米はZ村の支援先であり、協力して農業実験を行ってきた農家からの米を買い取り支援し、そのまま施設への支援米とした。カンボジアの短期技術研修に参加した学生4名が、施設に戻り、目標を立てたとおりに施設内に店を作って運営を開始しており、また、課題とした作品作りも行っていた。リーダーの学生がカンボジア渡航となったが、他の学生が継続して収入(学費)が得られ、手に職がつき、将来の自立に役立てられるよう協力支援を継続していきたい。
  • 今年3月に引き続き、第2回目のMirai日本語学校に通う学生を対象に、日本語学習の3日研修を実施した。今回は当団体が2009年に実施したスリランカでの日本語研修に参加した学生や、地元の第三者日本語学校に就学支援を行った学生、縫製技術を学ぶ学生も参加し10名となった。ボランティア日本語教師も前回に引き続きGHSメンバー2名と他1名の協力を得、今回は今年12月に実施される日本語之力試験の試験勉強として授業を行った。地元では、日本語学習の希望者が増加しており、就職に役立つ等の理由から、今後も貧困層や孤児院施設等の学生でも学ぶ機会を得られるよう継続していきたい。
  • 縫製プロジェクトでは、カンボジアDACCで2年間実習した女性1名が帰国したため、自立のために日本の職業用ミシンや用具を寄付、同時に家族の医療費支援を行った。引き続き現地での活動参加を希望しているため、他のメンバーへの技術指導やマネジメントを担えるよう指導を行った。また、現地のミシン修理、部品交換等も行い、材料提供も行った。
  • この他、雨季に収入が激減するタナカを産業とする乾燥地帯の村の支援を行い、拠点を置くK村では貯水タンクの破損や雨漏りがしていた建物等を修理支援した。

 収支報告:

事業予算 <レート$1=\105.31 1$=969Ks>
人道支援事業
DACC運営事業(カンボジア)
縫製プロジェクト
SPT孤児院支援
日本語研修
医療支援
Z村支援
K村支援
タナカ村支援
車両運搬
¥526,550 
¥158,019 
¥416,355 
¥21,399 
¥217,445 
¥420,083 
¥217,358 
¥27,170 
¥91,290 

合計¥2,095,669 

2014年8月21日木曜日

スリランカに車いすを届けよう企画の近況

昨年9月に支援要請を受け、事業参加や協力の呼びかけをしてまいりましたが、色んな方がご協力下さり、準備が進んでいます。車いすの掃除、保管、準備、現地に持参して下さる参加・協力者の呼びかけなど、個人から団体の皆さんが積極的に進めて下さっています。今回は、以前当団体主催で実施したスリランカ研修にボランティア参加して下さった皆さんを中心として、グローバルハートスペース(GHS)が取りまとめを行ってくれています。

まだ、スリランカへの参加者、車いすも受付け中だと思います。問い合わせや申し込みは、グローバルハートスペースへたずねてみてください。GHSの車いす関連ブログはこちらをご覧ください。また、参加者の皆さんによる準備状況はこちらのブログです。

スリランカ協力NGOの学生メンバー
今日は、スリランカから嬉しい連絡がきました。いつも現地の活動に参加してくれる現地協力NGOの学生メンバーの中の1名(Sajini)が、日本語能力試験N5に合格したとのこと♪N5は初級レベルですが、Sajiniは、自主的に日本語を独学で学んでのことですから立派です。次はN4に挑戦したい、ということで日本語のテキストがないかNGOからの問い合わせもありました。もちろん!もって行きます!SajiniはこのNGOの活動ブログの更新をこちらもご覧ください。
行う担当もしていますので、ぜひ

早速、日本語の学習に関する教材提供をして下さっている会員さんに連絡。即答で送ります!というお返事を頂き、ありがたい限りです。

9月スリランカの訪問も、楽しみです!!

2014年8月9日土曜日

ホームページ改装♪

www.cealo-ngo.org
ホームページを改装させて頂きました。ついこの前改装したばかり、と思っていましたが、このところのインターネットの進化・変化とスマートフォンの普及に何とか対応できるように頑張っております。

支援先の東南アジアの国でも、ネットやスマホが都市部中心にどんどん普及されていますが、日本で生まれ育った私たちが経験したような、ダイヤル式の固定電話→プッシュ式→ポケットベル→携帯電話…のような時代と共に少しずつ変化するのとは異なり、何もないところに急に最新式のスマホが登場!なのですから、こちらが慌ててしまいます。

ホームページ作りも、これまでのようにPCで作ってFTPでアップする、という手作業も、何とか慣れ、さっさとできるようになったかな、と思っていたら、セキュリティーを理由に設定が増えたり、ブラウザやPCがバージョンアップをしなければならなくなり、ソフトもそれに合わせて更新したりと使いづらくなってきます。

自立支援事業の中で、研修事業をする際に、場合によっては正しいスマホやネットの使い方を伝えたいこともありますが、現地の方がやっている事が最新だったりして、慌てて勉強しなければいけないこともあります。目をふさいで、あれだめ、これだめと追いかけても追いつけず、これもある、あれもあるけど何を選ぶのが自分にとって正しく人生に役立つか、を伝えていくことも必要になってきました。

このホームページ作りも、何かのお役にたてるといいなぁと思っています。何よりも、ご協力、応援を頂いている皆様に、タイムリーにご報告ができるよう務めたいと思います。今後とも、CEALOグローバル・ハーモニー・ジャパンのホームページをよろしくお願いいたします。(担当)

2014年6月26日木曜日

川村義肢㈱様、社内見学~義手完成まで

ミャンマーで長らくボランティアスタッフとして事業活動に関わってきた仲間(ミンウーさん)が、5月~、CEALOグローバル・ハーモニー・ジャパンの関係NPO法人の招へいにより、事業参加のため来日しています。

長年、この彼の義手を何とかしてあげたいと思ってきましたが、このたびの3か月来日滞在により、そのチャンスが巡ってきました。彼は十代の頃、感電による事故で右腕肘下を切断していますが、地元で唯一義手を作ってくれる方に20代になってやっと木とプラスチックで作った義手を手にいれました。
見た目だけではなく、肘が残っているにもかかわらず機能的にほとんど腕を曲げられない義手だったことから右腕を使うことも少なく、腕の筋肉もやせ細っています。

来日を機会に、一度、日本の義肢技術がどのようなものか、見に行ってみよう!と誘い、大阪にある川村義肢㈱様が実施している見学ツアーに申込みました。








5月末、大阪の本社を訪れ、担当の方が、丁寧にスライドや工場で説明をしてくださり、実際に技術者の方々がお仕事をしている様子を間近に見せて頂きました。技術もさることながら、日本企業をミャンマーからの訪問者に見学してもらうにあたり、一番有難い、よかったと感じたことは、川村義肢㈱さまの社風、社内の空気でした。
会社内、工場内どこでどなたにお会いしても、社員の皆さんが元気に笑顔で挨拶をされておられ、「仕事は楽しいもの、自分の誇りであるもの」、と普段、東南アジアの仲間に伝えている自分たちとしては、非常にありがたいお手本を見せて頂いたような会社でした。
また、工場で皆さんが働かれている横で、打ち合わせをされている様子の社長さんにお会いしましたが、社長さんも、見学の我々に笑顔で大きな声で挨拶をしておられ、これもまた、「リーダーは、働く人と共に働き、一番に手本を示せる人間でなければ」、と常日頃話をしていましたので、訪問したミャンマー人も、日本企業、技術がなぜ素晴らしいかを実感したと感想を述べていました。

見学を終え、仲間の『手』を作って頂くなら、この会社しかない!と思い、その場で「手を作ってください!」と直談判…。後に気付いたことですが、日本では当然義手などは医療機関、つまりお医者さんを通じて作られるもので、このようにメーカーさんに直接きて作ってくれ、という客はいないということ…。アポもなく、いきなり手を作れとの申し出にその場で応じて下さったのも、今思えばこの会社だったからこそなのかもしれません。

技術担当の方が対応して下さり、通常は営業を通じて行うべきところもお時間を取ってくださり対応して下さったのだと思います。これまでの事情や希望、我々の期限や予算も限られていることを伝え、いろいろと相談に乗ってくださり、型どり~発注までをその日のうちに終えることができました。半日かかりましたが、大阪まで来た甲斐があった1日でした。

それから1か月…。担当の方から義手が出来上がったという連絡を受け、合わせてみるために再度大阪へ。通常は、こんな風に直接技術者の方とやり取りもしないでしょうから、時間も要し、何度か調整も行いながら完成するのだと思います。度重なるご配慮に本当に感謝しかありません。

日程を調整し、滞在先の広島でミンウーさんと待ち合わせて大阪へ!一度訪問した場所とはいえ、ナビも途中で消えてしまい、道が分からなくなってしまいました。「この辺だったかなぁ~~」と、ハンドルを切ると、なんと、植栽の緑の中に翻るミャンマー国旗が!!「あれ!!ミャンマーの国旗じゃない?あそこだよ、きっと」。

なんと、我々たった3名が勝手な注文をして受取に伺うのに対し、国旗、社旗に、ミャンマーの国旗を掲揚して礼を尽くしてくださっていました。さりげなく誠意を表す、という姿勢に感服です。
ミャンマー人2名は喜んで、何度もカメラを向け、旗がなびくタイミングを捕まえようとバチバチと撮影していました。
日本人としてありがたく、心の中で、これこそが日本の誇りであると一番感激していたのは、実は自分ではないかと思います。

いよいよミンウーさんの「手」とご対面。普段おとなしく、冷静であまり感情を表に出すこともない彼が、満面の笑顔を浮かべて顔を赤くしていました。日本人の手指の形、色とはずいぶん異なることや、身長も高く手が長いこと、そして通常以上にやせ細った腕と骨ばった肘など、一人ひとり違うその人の体の一部を作るということは、大変なお仕事なのだなとつくづく思います。

ぴったり合ったサイズ、そして肘を曲げて使えるように考えられた義手。はめたり外したりにもコツが必要です。出し入れ時に痛む箇所を広げる微調整や、補助ベルトを合わせて取り付けたりと、何度も工場に戻られて数時間かけ、今回もまた1日のうちに調整してくださいました。

何度もじーっと手を見つめ、自分の手と並べ、いいですね、いいです、と嬉しそうにしている様子を見ると、あぁ、よかったな、と、言葉になりません。
そして、一番、彼にとって大事な「合掌」。ばっちりです!私は、今回の彼とのやり取りの中で、仏教徒の彼として大切にしたいもの、それが故の辛さやこだわりを深く知ることができました。彼とのご縁も、孤児院や障碍者施設、村や研修活動に関わり手伝いをするようになって10年。もっと大変な人たちの為にと共に汗を流してきましたが、やっと彼の番が巡ってきました。本件に関しまして、ご協力頂いた皆さま、ありがとうございます。

川村義肢㈱の松本様、本当にありがとうございました。







2014年5月9日金曜日

縫製プロジェクト研修のご紹介

当団体が設立以前より15年来継続支援を行ってきた、モン州にあるSPT寺子屋養育施設内(0歳~18歳/600~800名寄宿)で実施中の縫製プロジェクト。当初、寄宿中の子ども達用の数台だったミシン室から広いミシン工房に拡張し、更には電動ミシンを導入して職業訓練させたい、という施設とそこで頑張っている教員候補生(19~24歳)を応援しようと、カンボジアのDACC拠点を活用した5週間の研修が実施されました。

当団体からは、電動ミシン(日本よりJUKI職業ミシン)4台、設備や教材、事業資金提供で事業協力を行いました。施設に常駐している特非)グローバルハートスペースのスタッフや、ミャンマー人の駐在者みんなで協力し、パターン作成、ミシン縫製技術の学習だけではなく、平和・環境学習、日本語学習などが行われました。

研修後の学生達が、ミャンマーの施設に戻り、学んだことを活かしていけるよう、また、施設内で子ども達に指導したり、施設内のミシン工房のマネジメントや経済的な自立を願い、引き続き協力していきたいと思います。

研修の日々の記録ブログはこちら

縫製プロジェクトの概要はこちら(PDF)をご覧下さい!



2014年3月13日木曜日

日本語1週間研修終了(2014年3月期)

1週間の研修が終了しました。ほとんどネイティブ日本語の聞き取りや会話ができないところからのスタートでしたが、以前当団体の研修で学習したメンバーが通訳ボランティアに入り、また、日本の訪問経験が豊富なスタッフが文化紹介の授業を担当するなど、フォローを入れながら研修を進めました。

1日の担当、共同生活の目標、自分で意見を述べる、発表する、など、初めての体験ばかりだったようですが、日本語学習だけではなく、ディスカッションの時間を設け、簡単なトピックに感想を述べる、グループで話し合うこと等も行い、それらは母国語+通訳を入れながら行われ、充実した毎日でした。

こうした研修が実施できることに、たくさんの協力があり、互いへの感謝を感じること、他国や異文化を知る、その中で母国の素晴らしさを知り継承していくことの大切さ、等が、ミャンマー人のスタッフから学生に語られたことは、非常にうれしく、また学生からも来年も是非やってもらいたい、という要望もあって、1週間の研修は成果があったと思います。

今回、学生が6人に対し、教員も6人というマンツーマン状態の贅沢研修になりましたが、教員スタッフの人材育成の意味では、現地スタッフが積極的に取り組み、母国の若者に学んできたことを伝えようとする姿は嬉しく、意義のある研修となりました。

日本企業の進出が進み、若者に就職の扉が大きく開かれてきたところですが、それによって国内の貧富の格差が広がってきているのも現実です。ゆとりのある家庭、厳しい家庭と学生の背景は様々なようですが、本気で頑張る学生に格安で日本語を教えるMirai学校を今後も応援し続け、またこうした学生が育ってきた時に研修を実施して行きたいと思います。

2014年3月5日水曜日

日本語1週間寺子屋プログラムスタート

この度、ヤンゴン郊外にあるお寺のご住職にお願いをし、特別に寺院内の建物を借り、日本語を学ぶ学生を対象に、1週間の研修プログラムをさせて頂けることになりました。

今回の当事業には、ボランティア教員として、NPO法人グローバルハートスペースのカンボジア駐在メンバーが手を挙げ、協力参加してくれることになりました。学生たちは、当団体の研修プログラムを経験した現地メンバーが独自に立ち上げ運営している、Mirai日本語学校に通う生徒です。

研修は泊りがけで1週間、朝から寝るまでびっちりとスケジュールが決まっていますので、Mirai学校の中でやる気のある学生を募るところから始め、今回は6名が参加。日ごろのクラスではビルマ語で解説しながらの授業ですが、この期間中は日本語だけで生活しながら勉強を進めます。

日ごろの学習成果を生かしてもらうと同時に、教員スタッフにも授業を参考にしてもらい、今後の授業運営にも役立ててもらいたいと考えています。また、この研修経験を通じて、日本語や日本人に親しんでもらい、将来、日本企業で仕事をしてみたい!と希望を持ってもらえることを目標に研修をすすめていきたいと思います。

プログラム概要

<スケジュール>

6:00
 起床
7:00
 朝食
7:30
 そうじ・準備
8:00
 朝礼(全体テーマ・係り)/けん玉
8:30
 授業① ことば(70分)
9:40
 授業② 文法(70分)
  自習(復習)
11:30
 昼食準備
12:00
 昼食~片づけ
13:00
 授業③ 文化学習・歌(30分)
13:30
       日本の生活(30分)
14:00
 授業④ 漢字の成り立ち(30分)
14:30
       習字(30分)
15:00
 トイレ休憩
15:10
 ディスカッション(30分)
15:40
 マイエンザ等環境生活学習ワーク
17:00
 水浴び
18:15
 夕食~片づけ
19:30
 授業⑤ 聴解(70分)
20:40
 自習~まとめ
21:30
 分かち合い(発表)
22:00
 終了
22:30
 消灯

2014年1月29日水曜日

マイエンザ!!大成功♪(カンボジアDAC編)

マイエンザの10L一時培養が上手くいき、100Lに二次培養で挑戦!
10日がかりでしたが、日本やあちこちでこれまで作らせて頂いた中で一番のできでした。

匂いもさわやか、マイエンザ臭さがほとんどなく、きれいな色をしています。
さっぱりしすぎているので、効き目がどうかと思いましたが、抜群です!

ちょうど、DACでセキュリティーのために、(将来の・・・)犬を飼い始めましたが、まだ子犬のため、夜は建物の中に入れます。そこで早速、糞の始末やら、動物の臭いに大活躍してくれています。

今回は、電機や設備、環境・人員ともども、ほどほどに整った状態のDACCでの作成でしたので、うまく管理もできたと思います。

<電気設備>

写真右側に見えるのは、停電時用のバッテリー。このところ、クーラーを使わないでもよい時期なのか、停電がほとんどないここシェムリアップですが、停電時には自家用発電機と共にDACC拠点では役立っています。
今回は、マイエンザ仕込みにこのバッテリーを使い、日本から持参した温度調整のためのサーモ(水槽用)が使えるように、変圧器を通した電源を使いました。これで安定した電気で安定温度を保てる環境がばっちり。

<材料>


  • 納豆:カンボジアでは高級(?!)スーパーで納豆が手に入ります。
  • ドライイースト:日本の業務用と全く同じものがミャンマーのこれまた高級スーパーで、日本の最低価格より150円ぐらい安く手に入りましたのでウキウキして購入しとっておいたものを使いました。
  • ヨーグルト:これが問題です…。十分おいしく食べられるヨーグルトは、ここDACCでは人体実験?が何度も行われていますが(単に培養しては試食と言って食べている在住者たち…?)、マイエンザに使うとなると、いつも牛乳臭さが残り、タンパク質が腐敗した臭いがするような気がします。牛乳で培養し増やす方法をとっていますので、ここでいつも失敗しているのかもしれません。今回は、牛乳を温める温度(沸騰させない)、ヨーグルトは新鮮なものをこれまた高級スーパーで手に入れました。
  • 砂糖は、昨年DACCで実施された奉仕の研修会で日本人のみなさんが持参してくださった三温糖。
  • お水も、ここは鉄分が多分多い井戸水ですから、一時培養の時は飲用水を使いました。


これだけ贅沢材料なのだから!と気合を入れ、毎日何度も温度管理。消毒もほどほどにしながら、タンクも日本から持参したものを使っています。
また、結構涼しい時期のため、倉庫や屋外ではなく、人が常に見守れる場所で清潔に管理できたのもよかったかな、と。

<次の課題>

次の課題としては、納豆は大豆から納豆菌(日本から)で作り、ヨーグルトは粉のヨーグルト菌(これも日本から)から作ること。

また、砂糖も結構使いますので、東南アジアはサトウキビの産地ですから、何とか役立ててみたいと思っています。

材料作りに手間がかかり、ここで失敗を繰り返してはマイエンザを満足に活用も、普及もできませんので、無理をせず、難しいところは日本からの材料を役立て、最終的には最小限の材料で、安定したマイエンザが沢山できるようになり、アジアのまずは生活衛生に役立てることから、農作物の育成や、暑さで物が腐りやすく(ごみ!!の悪臭!)水害も多い地域の環境改善に役立てていきたいと思います。