2021年1月26日火曜日

ココナツ村のちいさな学校<続編> (第18期)

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前回、お伝えしたココナツ村で始まった小さな学校の子ども達のために、食事と文具を届けさせて頂きました。

協力して欲しいから写真を送ったのではない!」と、現地のタンさんには、かなり拒否されたのですが(笑)、長~いおつきあいでそこは重々承知しております。

子ども達のためにさせて頂きたいという事を理解してもらい、お金を送らせてもらいました。その資金は、文具や衣類、毎日の食事代にして頂く事になりました。

子ども達は20人いて、お米は、3日で1俵なくなるそうで、村も大変な状態ですから相当大変だと思います。それでも何とかしないと村にも国にも将来がない、と頑張っている村のタンさん達を応援させてもらえて嬉しい限りです。

昨年、日本での研修にあんこ君と共に3ヶ月滞在していた"てちょう君(カウン・テッ・チョーという名前なので…)”も村にいますので、何とかお願いして写真も撮らせてもらえました!

てちょう君!!


前回の報告では、白ご飯だけでしたが、豆が入ったり!ちょっと色が付いた?ご飯や、焼きそばも!!!


てちょう君が書いてくれたのかな、「おはいようごさいます…」と「ありがとうごさいます」…、次はN4合格目指して頑張れ~~。

今は20人の子ども達が来て、朝ご飯を食べさせ、勉強をしているようです。タンさんはミャンマー人としてどう生きるべきか、そこが厳し~い方なので、そのお手本をしっかり背中でみせてくれている事だと思います。

都市閉鎖であっという間に15-20年前の状態に戻ってしまったようだという話を前回もお伝えしましたが、唯一異なるのは、こうして数日あれば何とかお金を送る事ができ、写真を撮ってデーターを送ってもらうことができるようになった事です。

かつては、日本に文章ひとつ、写真ひとつ送るのに、何日もかかりました。遠くの街に1軒、2軒、インターネット屋さんがあり、いわゆるネットカフェ…ですけれども(日本のそれとは大きく異なることは言うまでもないとは思いますが…)部屋に1台か2台のPCが置かれていて、賢そうな子があの手この手で送信してくれていたのを思い出します。

間に入る通訳の人もチンプンカンプンで苦労してましたが、今は毎晩のように現地にネット電話もでき、直接綿密に打ち合わせたり、やり方を教えたりしつつ、人とのつながりを強化することもできています。

今、海外送金はこれまでの銀行送金ではなく、Remitというサービスを使って簡単で早く安く送金ができ、相手が口座を持っている必要もない、という国際送金方法があります。
送る側と受け取る側の二国間間で、両替の必要もないんですね。(銀行送金はこれもあるため手数料が高い…)

今は銀行がRemitをやっているほど普及してます。昔の闇銀行?と同じ?仕組みだと思うのですが…。
ようは、こちらに送りたい人がいて、間に入る人”A”さんがお金を受け取り、実際に送ることなく、現地に住んでる"A”さんの仲間の"B"さんが相手にお金を渡してくれる、というようなものではないかと理解してます。

ミャンマーでは普通に昔から存在していたような"サービス"です(違法で捕まる!といいつつ内緒でやっている人はたくさんいました)。➡たぶん届もなく間で多少のお金を取るからだと思うのですが…、そういう正規の許可や税制も無いに等しかったですからね。

苦労しているところは、人と人のネットワーク・協力体制がすごいですね。人助けも人助けと思わずできるところが素晴らしい。時を経てそれが商用サービスとなって表れてくるのですが…。
色々規制や法律や税制を整え、誰かがコントロールする下でなければ通用しない世界と、そうでない世界…。
社会の仕組みに縛られて酷い!と言ったって、その社会の恩恵も受けながら便利な生活ができている事も事実。どちらも否定はできません。両方を兼ね備えた国が日本でありたいものです。

ココナツ村のようなミャンマーの昔ながらの村生活をおくる人々は、愚痴を言って社会のせいにして何もしない、という事はしません。
特に大人たちは、「近年の民主化によってグローバリズムがどんなものか、たった数年でも味わえた、得るものより失うものが大きい事が分かってよかった」、と口をそろえます。

…そう言うからには、何とかして次の子ども達のために頑張ろう、という想いが、この小さな学校に現れているのだろうと思っています。

2021年1月20日水曜日

ココナツ村のちいさな学校(第18期)

武漢ウィルスにより全世界が影響を受けている中、日本の社会も困難が続いています。世界中で次々と混乱が起きてもおり、不安に不安を重ねられ、日本もさらに厳しさを増していくことが予測されています。

昨年末から今年にかけて、アメリカの仲間と話すことがある度に、ミャンマーに一緒に行った時の事を想い出して、と伝えています。当時、5人以上集まってはいけないとか、常に秘密警察やスパイが近くにいるとか、言いたいことも言えない…。お店に食べ物が売ってないとかトイレットペーパーがないとか…。

そんな中で私達は何を見たでしょうか。穏やかで笑顔を絶やさず、自然に助け合いをしながら強く生きる人々の姿でした。

何のためという理由ではなく、純粋に勉強がしたい、仕事がしたい、奉仕がしたいという人々。理不尽なことが次々に起こる中、たくましく生きようとし、人の役に立とうとする姿でした。

日本では、緊急事態宣言をしても動くところは動いています。日々の生活も今のところはすぐに食べる事も出来ない状況でもありません。国の補助もあります。文句を言いたいこともありますが、力のない国はあっという間に10年、15年前に前戻りです。緊急となれば強制的に閉ざされ選択肢はありません。

状況は更に酷いかもしれません。子ども達は学校やお寺に行くことさえもできないのですから。先進国ならマスクをつけたりシールドやパネル、更にはネットで学習も可能でしょう。

20年前、初めてミャンマーを訪れた頃は、本当に何もありませんでした。しかし、人々が穏やかに笑顔でいられたのはお寺があり、みんなが学校に行け、物々交換もあったからだと思います。

しかし、それさえもできなくなったら途上国はどうなってしまうのでしょうか。物流も止まり、送っても都市部から田舎まで運ぶことも非常に困難で、私達が行くこともできないのです。あんこ君は来ることができたのも、行く先が日本だったからです。こちらから現地に行くことは大変な困難です。

そんな状況の中、ココナツ村から素晴らしいニュースが届きました。

ココナツプロジェクトのリーダー、タンさんが、何とかしないとダメだと、自宅の一部を学校にして、大学生を先生に、子ども達の学校を始めています。食事の提供もして子ども達は元気に勉強しています。










ヤンゴンには私達の力強い仲間がいて(いつもドライバーとして活動参加してくれている”チョビ”(通称)さん)、ココナツオイルの材料運搬、日本からの資金や物資の配達を担ってくれています。

ちょび
ロックダウンの町から町、村から村へ、数日かけて、時には足止めをくって、知らない人の家に軟禁状態になりながら、重要な役割を担ってくれています。

(つづき 後編➡)

2021年1月19日火曜日

ミャンマーからの留学生支援(第18期)

 

ミャンマーZ村のミンウーさん学校で2019年春から日本語を学びはじめ、3ヶ月の日本訪問研修を経て、引き続きミャンマー国内で勉強と仕事(Jimichi Myanmar)に励んでいた、Aung Ko Lat(通称:あんこ君=本名の発音がアゥンコーラッ)さんが、やっと来日を果たしました!

昨年11月より語学学校に通いはじめました。
あんこ君は、支援先のココナッツオイルの村出身。ミャンマーの大学に通いながらJimichi Myanmarの仕事をしつつ、日本での学習を目指して日本語研修に挑戦していました。

ここで少し、ミャンマーの教育事情についてご紹介しながら、あんこ君をご紹介したいと思います。

ネットなどで検索できるミャンマーの教育システムについて公開されている情報は「目指している方向」かもしれませんが、まだまだ移行期です。

ざっくり言えば、11年制だった義務教育+高等教育(日本の高校まで)を国際基準に合わせて?12年制にする改革中ですが、混乱も見られます。

近年、日本での学習や労働を目指す若者が増加しています。こうした背景がミャンマーの教育改革に影響があるかどうかは分かりませんが、例えば日本留学なら、日本の大学や専門学校の入学要件として、母国で12年の教育が求められます。就労の査証を取得するにも、学歴により得られるビザの種類が限られます。

例えば、一昨年、外国人労働者の受け入れに制定された就労ビザ。日本は学歴要件問わずとありますが、二国間協定ではミャンマー側の政策もあって、大卒か政府機関が認可した教育・人材紹介機関を通じなければ海外就労は許可しないという事情があります。










そのため、一部を除くほとんどの若者は要件を満たす事が難しく、高額な教育/人材紹介機関に頼らざるを得ないのが実情のようです。チャンスを求める多くの若者は、借金をしたり虚偽の書類を作成したり、悪徳な業者を介して安易に外国に出稼ぎに行き、不幸な道を歩んでしまうといった事が後を絶たないのです。

従って、わが国日本に次々にやってくるミャンマー人ひとり一人が抱える問題も目的も複雑です。強い意志と情熱を持って勉強し、日本の社会に貢献もしながら学び、目標とするものを得て母国に役立てるという志をもっている人(=我々がどうぞ来てくださいと言いたくなるような人)がどのくらいいるか、が疑問です。

教育の話に戻りますが、問題はそれだけではありません。
近年、ミャンマーの教育改革の一環として「遠隔地学習」の大学が地方にたくさん作られました。教育機会を与えられる精一杯なのかもしれませんが、その内容が問題です。

あんこ君はまさにそうした移行期の狭間で遠隔地学習の大学生でした。遠隔地学習は1年間授業はほとんどなく、昇級試験だけのための講座が数回開かれ、実際に大学に通うのは正味1カ月にも満たないのが実情です。

更にその講座の予習?先生が有料私塾を開設するなど、学生達も自分達がおかれた状況を理解できていません。あんこ君がそれに気づき、自分の人生に対する責任を取ろうと決めたのは、卒業を目の前に控えた頃でした。数か月先に講座を数日受けて試験を受けたら卒業…という。

私達が受け入れ、日本の学校に行く準備をするには時間を要し、タイミングもあります。今がチャンスという時しか受け入れはできません。その時期が、あんこ君にとっては二者択一となってしまいました。

あんこ君は幼少時に父親を亡くしており、お兄さんは家族があるので、実質あんこ君がお母さんと弟を支えてました。








遠隔で日本語学校の入試を受けるあんこ

そんな中でも、自分の人生を歩むようお母さんに促され、決断して日本で頑張る事をきめた矢先、コロナが蔓延。日本留学も延期になり、なんとかリモートで面接ができましたが、飛行機は飛ばずビザも取れない状況が半年続きました。

昨年、ほんの1,2か月間、ビザ発給と渡航が可能になり、逃さず申請しましたが、そこでお兄さんが急死してしまいました。
今、私達と日本で頑張っている2名のミャンマー人もそれぞれ非常に困難な背景がありましたが、このあんこ君も数々の苦難を乗り越えて覚悟を決めての来日となりました。

日本人なら、ここでつい、「じゃあ、あんこ君の夢・目標は何なの?何がしたいの?」と聞きたくなります。
日本で「好き嫌いではなく辛い事でも目の前の事を頑張り、精一杯生き、何か人の役に立てる事をやり、いつの日か自分に満足できたと思える人生にしたい」という事が、夢でも目標でもなくなったのは、いつからなのでしょうか。

私達が関わってきたミャンマー人の目標や夢は「生き方」であり、職業ではありません。それは、私達が忘れ去った人間として見習うべき姿ではないかと思いますし、またセアロが伝え私達が実践していることでもあります。
私達が受け入れるのは、目指す自分の理想像が、人々のために役立つ自分である事を強く望んでいる若者です。応援することにより、ミャンマーへの貢献につながると思い、こうした支援事業を行っています。

あんこ君も山地のセンターで社会生活を体験しながら日本語を学び、陽月堂の事業も手伝いながら頑張っています。

<番外編>
あんこ君の先輩、セアロNPOのミャンマー人第1号のウィンさんが、この度、非常にハードルが高い「高度人材」という資格のビザを取得しました。全国のミャンマー人で経営・管理関連の高度人材ビザで日本にいる人は現在いません。快挙!!