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昨年から手伝いを始めた大学生ボランティアと、そして地元の皆さんとともに、少しずつでも手入れをし、活用をしてきているそうです。また、農業実験のプロジェクトや、村の支援活動、そして、病院で治療を受ける貧困層の支援活動なども継続しながら、今では病院の医師や看護婦さんからの寄付金や協力を得ながら、内戦後の復興が進んでいない北部のサポートも行っているとのこと。
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集まった学生は、2005年のスマトラ沖大地震津波被災地で支援を受けたハッピー君はじめ、2007年の国際ハートエキスポに参加するため来日したニルーシ、そして数年前から活動に参加している学生たちです。NGO団体の会計も学生が行い、レポートやブログ、また支援要請の予算・計画書もファイルに作って提示してきます。
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2005年初めてスリランカを訪問した 際津波被災者が避難していた寺院内 |
ブログも簡素なものを見本に作り、やってみてはどうか、と提案して後、まめに更新をしており、昨日はデザインを変えたいというので少し教えたら、一夜のうちにこの通り。頼もしい限りです。
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今回訪れた同じ寺院内に作られた 幼稚園の子ども達の様子 |
が、慣れた手つきであっという間に終了。支援先ごとの仕分けもばっちりです。
学生が物資の撮影を早速していたので、私も便乗。きれいに並べてありました。2005年にセメントブロック作りの機械+簡易工場を寄付した地域数か所で、現地NGOで幼稚園を運営支援を続けており、最近はやっと支援金がなくとも教員の給与は保護者と村の人々が毎月バザーを行ってまかなえるようになってきたとのこと。自分達がそうした指導をしながらも、共にやっていくことの大切さ、それが実った時の喜びをスブーティさんは涙ながらに語ってくれました。与えるだけではだめだ、と分かっていても、一時的な他からの支援や地元住民の怠け癖や甘えによって、同じスリランカ人としてどう変化していったらよいのか。そうした自問が彼にも長くあったことでしょう。こうした取り組みができるようになった村は、8年やって支援してきた村のほんの数パーセントにすぎませんが、それでも、やっと芽が出始めた喜びを味わっているのだと思います。
2013年9月11日スリランカにて